2022年1月23日日曜日

兎のうにが今朝亡くなりました。

 

遍 歴

 

兎のうにが今朝亡くなりました。



 

2022122日(土曜日) 晴れ🌤  寒い……

兎のうにが今朝亡くなりました。

2022年1月22日6時53分、享年3歳と10か月でした。人間の年齢で言えば凡そ10倍することになりますから、40歳近いことになりますから、夭折に近いかと思います。

死因は膿瘍(のうよう)による鼻腔の閉塞による呼吸困難だと思われます。それによって食事が困難になり、死を招くことになりました。膿瘍は膿が溜まる兎の病気ですが、完治が難しく、人間で言えば、ひと昔、ふた昔前の癌のようなものかと思いますが、そういう認識が人間の方に欠けていたため、このような事態になったのかとも思います。転移に転移を重ね、土竜(もぐら)(だた)きのようになってしまいました。

ことの発端は、歯の噛み合わせの不具合(不正咬合(こうごう))でした。USGの歯は放っておくと、どんどんと伸びてしまい、口の内側を傷つけます。それを防ぐためには、とにかく余計なものを食べさせず、牧草のみを食べてもらうことに尽きるのですが、かわいさ余って、生野菜やら、果物なども与え、最終的には牧草を食べなくなったのが(ひところは牧草の入っている袋に体ごと突っ込んで憑りつかれたように貪り食べていたのが夢のようです)、根本的な要因ではないかと思います。

その歯の根元が炎症を起こし、膿瘍になり、このようなことになってしまいました。人間と同居している兎は自分で、自らの人生を切り開いていくのは、なかなか困難で、その大半を人間に委ねていることを考えると、全く、うにには申し訳ないことをしてしまったとお詫びの言葉もありません。

うに、ごめんね。許して下さい。

さて、その不正咬合が発覚して(何か、口でクチャクチャしていて涎が垂れていた)、自宅から駅二つ分離れたK**病院に連れ行ったのが昨年の5月5日のことで、同じ5月16日には歯を削る手術をしてもらっていました。

ところが9月に入り、顔の左側の目の周辺に膿が溜まって腫れてきて、病院に連れて行くと、膿瘍ということが分かり、9月の半ばには切開をして排膿する手術をしてもらいました。切開口は二か所で、塞がらないように絶えず消毒をして肉が盛り上がるのを待つ、という方法で、それ自体はオーソドックスなもので、「完治」間際まで行ったかと思った矢先にまた、恐らく11月ぐらいではなかったかと思いますが、別のところが二か所腫れてきました。恐らく、元の歯の根元が炎症を起こし、そこから菌に感染しているので、それは確かに(いたち)ごっこになってしますが、そのことは一度病院に指摘したのですが、まず表面の傷の完治を目指すとのことで、取り合ってもらえませんでした。

この段階で、実はセカンド・オピニオンを求めたり、転院も検討しましたが、最初の手術の後が、なかなか治らず、そこが治ってからにしようと思っていたのが、今回のかなり大きな判断ミスでした。

そうこうするうちに、なし崩しに、腫れを手術の形ではなく切開されたり、左目の具合が悪くなったりと、次から次へと難題が襲い掛かってきました。

その病院の考え方は家庭で消毒や目薬の点眼などをしてください、という方針でしたが、捕まえて、袋に入れて、身動きできなくして、その処置をされるのを、家庭では異様に嫌がり、大変な捕り物になってしまうので、早々に諦めて、ほぼ毎日、その病院には通院しました。

その間、彼女はずっとエリザベス・カラーをつけっ放しだったので、顔も洗えない、毛繕いもできない、という有様で、最大の問題は、兎は普通のうんちとは違う「盲腸(もうちょう)(ふん)」といううんちを出して、それを食べることで、必要な蛋白質を補っているのですが、それができなくなり、9月の手術後の退院後から、つい最近まで、――すいません、汚い話ですが、そこら中、床も本人もうんちまみれになり、床はいくらでも掃除しますが、本人が汚れてしまうのが心苦しかったのですが、そもそも、触らせてくれない人なので、これは、本当に病院にご迷惑をかけたと申し訳なく思っています。

さて、12月の半ばになり、急に食が細くなり、相談しても取り立てて何らかの処置をしてくれず、12月の23日ぐらいにやっと強制給餌をしましょうということになり、1日2回通院することになったところ、12月の24日の夜、口を開けて呼吸するようになり(口呼吸は兎の場合かなり危ない状況)、これは遺憾とのことで、帰宅したAKと相談をして、二年前にも危篤状況を救ってくれたK**市の動物救急病院に運んだのでした。この段階でこれは相当危ないとわたしは一旦覚悟しました。

その後、千葉の病院まで行ったりして大変だったのですが、なんとか持ち直して、ここまでなんとか命を繋いで来られました。有難いことです。恐らく病院側の医学的な見解では、これは大変厳しい、何らかの手を打つにしても病状が進行し過ぎている、これは時間の問題だ、ということだったのだと推測します。

それを、酸素の手配とか、マヌカ・ハニー(これは効いた。とても膿が出て驚いた)を塗ったりとか、様々手を尽くしてくれました。病院の中の情報の共有も完璧で人によって言ってることが違うということもなく、看護師さんや案内の方もとても気を遣って対応していただけたと思っています。

本来は、容態が急変していなければ、今日もう一度手術をしてくれる予定でした。ちょっと間に合わなかったのですが、こればかりは致し方がないことです。

もしも運命というものがあるのだとすれば、2年前にうにの天命は尽きていたかもしれません。それをなんとかプラス2年生き延びることができたのです。もちろん、運命などないのだ、ともいえますが、少なくとも、この半年、本人も含めて、AKもわたしも、できることは何でもしようと1日1日を全力の心算で生き抜いてきました。これは間違いないことです。最後の最後は左眼も失明して、顔の左側半分の感覚がなくなるほど、顔の半分が傷だらけになっても、文句も言いたかったかもしれませんが、言えずに、わたしと一緒に病院に行ってくれました。滅茶苦茶いやだったと思います。よく逃げ回っていました。でも、半年間頑張って治療を受けてくれました。

これはまさに偶然なのですが、偶々(たまたま)わたしが昨年の4月に退職をして、その後、どういう訳か、全く次の仕事が決まらず、ほとんど主夫状態だったのも何かの巡り合わせなのかと思っています。もしこれが例年通りだとすれば、わたしもAKも仕事でうにの病気のことまで手が回らず、恐らく病院に入院させっ放しで、お見舞いにも行けず、あれよあれよという間に急変しました、残念ですが、と連絡を受けていたのかも知れません。

いろいろと命に関わる判断ミスをしてしまい、すまなく思っていますが、できるだけうにと一緒に行動し、できるだけうにのそばにいられたことは、よかったことだと言えるかもしれません。

うには正直に言って、さほど人懐っこいというか、愛嬌のある子ではありませんでした。最後の最後まで抱っこはさせてくれず、手さえ触られるのを嫌がる神経質なところがありました。しかし、人の話を聞いていないふりをして、密かによく人の話を聞いていました。ときどき寂しくなると走って人間の方に来て、我々の周りをぐるぐると回りました。本当はサビシガリヤ・ファミリーの一員でした。本やら、服やら、スマフォ・カヴァーやら、壁や、電線やら、いろんなものを齧りました。

恐らく、一番好きだったのは畳んである布団にもぐって、1時間でも2時間でも掘り続けることでした。これも、9月の手術のあとはカラーがあるので全くできなくなってしまいました。

それから人間の食事用のテーブルのAKの椅子に跳び乗って、寝転んで寛ぐのも好きでした。これも、目が悪くなったせいか、降りるときの着地が怖いのか、余りしなくなりました。

床に寛いでいるときに腹ばいになって伸びをして寝ているのをわたしは「サーフィン」と名付けましたが(だから、「サーフィンUSA」です)、それも最近はできなくなっていました。

キャベツの一枚丸ごとや、香りの強いセロリとか紫蘇とかパクチーが大好きでしたが、最近は歯が痛いのか、鼻が利かないせいなのか、食べようとしませんでした。

 こんなにも好きなことができなくなった以上、これは確かにうに本人にとっては辛いことです。

 楽しいことも、苦しいことも、あるいはうににとっては、もう充分だったかもしれません。

 仮に天国があれば、――まだ、今日のこの段階ではうにの魂(があるとすれば)はその辺りをふらふらと彷徨っているかもしれませんが、仮に天国があれば、もう辛いことや、苦しいことはないはずです。思う存分、布団を掘って、大好きだったパクチーを貪り食べて欲しいと思います。

 わたしとAKとうには法律的にも、血のつながりもない、単なる同居人です。でも、偶々3人は何らかの力で一緒に住み、お互いに助け合うようになった家族のようものです。最近の言葉で言えば「偶然の家族」(使い方が違うかも知れませんが)だと思います。その意味でも「偶然」には或る力がある、強い何らかの力があると思えてなりません。

 

 最後に。





 うにへ。

 うにとの付き合いは2年余りだったけど、最後の半年はほぼ一心同体のようなものだったね。前世がもしあるとすれば、前世でも親子だったかもしれないね。

 とにかく、この半年間はお疲れ様でした。うには本当によく頑張ったと思うよ。世界中の兎の誰よりも頑張ったと思うよ。

いろいろ苦しかったり、辛かったりしたと思うけど、多分、我々にはよく分からない、何か深い意味があるんだよ。

ひとまずは天国(のようなところ)でリラックスして、楽しいこと、嬉しいこと、好きなことだけをするんだよ。

でも、すぐにまたどこかで会えるよ。うにとわたしとAKは何か見えないもので結ばれているんだよ。だから、どこかでまた会えたとき、わたしやAKのことをすぐに思い出すんだよ、きっとね。目を見れば分かるよ。あ、なんだ、こんなところにいたのかってね。

じゃあ、ひとまずはさようなら。

また、会う日まで。

 

2022123日に少し書き直しました

🐥 鳥の事務所

 

20220123 1112

0 件のコメント:

コメントを投稿